2006〜2008年を振り返って

 米軍がイラク空爆を開始したときの生中継を見て、報道カメラマンになろうと決意しました。爆撃で苦しんでいる人がいるのを伝えたい、「悲劇・悲しみ」を伝え「平和」を構築したい、そう思うようになりました。そしてそれ以上に「直接現場に行って自分の目で確かめたい」と思っていました。ブラウン管越しで見るニュースにむずがゆさ・もどかしさを感じていたのだと思います。直接自分が体験したいという気持ちが強くありました。それからスチールカメラマンへの憧れを抱くようになったのです。

 私が報道系の写真を撮り始めたのは2006年ごろから。当初は知人のカメラマンからキヤノンのEOS 20Dを売ってもらい、見よう見まねで撮影をはじめました(それから今まで独学で写真を覚えてきました)。20Dを手に入れたごろ、ライブドアがPJニュースという市民メディアを展開しているということを知りました。当時高校生です。それから私は知人が主催するイベントなどを取材するようになります。「取材」という行為そのものへの興味からです。
 初めて書いたのは「若者主役の平和シンポ開催、18・19日=広島」という記事でこの週の大賞をいただけました。撮影を続けていると、やはり欲というのが出てきていわゆる「報道向けモデル」が欲しくなりました。そしてEOS-1D MarkIIを中野のフジヤカメラで中古で購入。基本的に全額PJニュースの報酬での購入です(PJニュースの報酬はライブドアポイントで払われていて、手続きをすると商品券にすることができる)。今はEOS-1D MarkII2台や所有レンズ、ストロボなどすべて売り払い、ニコンD3を中古で購入(プラマイゼロとはなりませんでしたが、そんなにお金はかかってません)。

 その後縁があり、オーマイニュースで記事を書くようになります。2007年の11月ごろの話です。去年は一時オーマイニュースで事務のアルバイトもしていました。今は、契約のカメラマン(兼記者)として雇ってもらい、仕事をしています。
 昨年9月からは、JANJANでも契約カメラマン(兼記者)として働かせてもらってます。オーマイニュースはIT・デジタル系のネタ、JANJANは政治社会ネタという感じです。

 「伝える」ことが持つ力は計り知れないものがあります。数多くある伝え方の手段の中でも、一瞬で「悲惨さ」「優雅さ」「滑稽さ」「楽しさ」「必死さ」などを読み取れる写真という手段の可能性に魅了されました。時間軸にとらわれないのも写真の魅力のひとつだと思います。

 2008年はなかなか思い通りに撮れなく悩まされた年でした。2006〜2007年は、上手く撮れてなくてもどこをどう直せばいいのかさえもわかっていませんでした。取材から帰ってきて、他の新聞社の方の写真を見て「もっといい写真が撮れたのに」と悩む日々でした。
 絞り・シャッター速度を自分で設定するMモードでの撮影や、ホワイトバランスをケルビンで設定するのは今年覚えました(やり方は勿論知っていましたが、今までは現場で素早くその数値を設定するほど余裕がなかったのだと思います)。

 2009年も「もっといい写真が撮れるのに」と悩み続けて行くと思う。

 がんばろう。


(写真は初詣客であふれる護国神社


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